PROJECT STORY

社員のフロンティア・スピリットを喚起するために創設された「社内起業家育成制度」。
それをきっかけに始動したのが会員制サテライトシェアオフィス、『NewWork』だ。
東急電鉄というフィールドで、創造的なビジネスに挑む二人の社員の想いをたどる。

社員のフロンティア・スピリットを喚起するために創設された「社内起業家育成制度」。それをきっかけに始動したのが会員制サテライトシェアオフィス、NewWork』だ。東急電鉄というフィールドで、創造的なビジネスに挑む二人の社員の想いをたどる。

永塚 慎一

永塚 慎一SHINICHI NAGATSUKA

経営企画室 企画部 イノベーション推進課 課長補佐
経済学部 経営学科 卒
2006年入社

前職での8年の経験を経て、キャリア採用として入社。オフィスビルのテナントリーシングを担当。そこで巡り会ったさまざまなIT企業に触発され、新しい働き方を考えるようになったことが “NewWork”のベースとなった。

永塚 慎一
永塚 慎一

野﨑 大裕DAISUKE NOZAKI

経営企画室 企画部 イノベーション推進課
理工学研究科 機械物理工学専攻 修了
2010年入社

学生時代の専門は機械工学。しかし、技術を突き詰めるよりも、街づくりに関心を抱いて東急電鉄に入社した。理系出身ならではのロジカルな視点が新しいビジネスの構築に大いに力を発揮している。

野﨑 大裕

「社内起業家育成制度」に触発されて
東急電鉄らしい新しいビジネスが動き始めた。

最近、「働き方改革」という言葉を毎日のように耳にします。政府は構造改革の柱としてこの「働き方改革」を掲げ、企業も真っ正面から取り組もうと競うように新しい施策を打ち出しています。「ワークライフバランス」と対のようにして語られるこの課題は、企業を評価する指標としても欠かせない存在であり、就職活動に向き合う学生の皆さまにとっても身近な話題のはずです。
このような風が吹き始めるなか、当社でも新しいビジネスが動き始め、注目を集めています。それは、会員制のサテライトシェアオフィス、“NewWork”。東急線沿線をはじめとした都心だけではなく郊外の駅周辺にも広く展開。カフェのようなスマートな空間に、フリーアドレス型のデスクと基本的なオフィス機能を備えています。“NewWork”を利用すれば、わざわざ毎日決められた時間にオフィスにいる必要もなく、場所や時間にとらわれずに効率のよい仕事が実現できる――。
2015年4月、当社は、社員のフロンティア・スピリットを喚起し、チャレンジする企業風土の醸成、新規事業創出のスピードアップを図るために「社内起業家育成制度」を創設しました。その最初の案件として生まれたビジネス“NewWork”のプロジェクトストーリーをご紹介します。

強靱な意志がなければ、ベンチャー・ビジネスは前に進まない。
社長プレゼンは、その想いをジャッジする場でもあった。

東急電鉄で「社内起業家制度」が設立されたのは2015年4月。募集が開始されると社内から多くの新規事業のアイデアが集まりました。その中で最初に1次選考を通過したのが永塚慎一と野﨑大裕が提案した“NewWork”でした。都心ではなく東急沿線で展開するサテライトオフィスという新しいビジネスモデルに加えて、渋谷など都心部で展開するオフィスビルに入居する企業への新しいサービス提案など、東急電鉄が進める他の事業との親和性のよさも高い評価を受けた要因でした。また一方で、二人はこのプランに「駅近の空き家を活用する」という斬新なアイデアを盛り込んでいたのですが、それは現実的ではないとの指摘があり、駅近のオフィスビルに展開するプランに軌道修正されました。
さらに同年10月には、2次選考が実施されました。この選考では社長プレゼンも行われ、社長自らが質問し、事業の将来性やプラン内容だけでなく、プロジェクト遂行にあたってのメンバーたちの強い意志を確認された場でもありました。

「剛」と「柔」。二人の関係を考えるとき、
この言葉を思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。

10歳差の永塚と野﨑が出会ったのは2011年2月。当時、永塚が所属していたオフィスビルのテナントリーシング部門に、野﨑が新入社員として配属されたのがきっかけでした。やがて二人は上司・部下の関係となります。この頃、永塚は「二子玉川ライズ」に大手IT企業を誘致するプロジェクトで中心的な役割を果たしており、野﨑はそのサポート役として力を発揮するようになりました。
「剛」の永塚、「柔」の野﨑。二人の関係を考えるとき、こんな言葉を思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。斬新な企画を思いつき、スピーディーに行動に移していく永塚。そのプランを計数面などからサポートし、ビジネスとして整えていく野﨑。
そうして成長していく野﨑の姿を見て、永塚はサポート役以上のポテンシャルを感じたと言います。その後「二子玉川ライズ」のプロジェクトが完遂し、野﨑が別の部門に異動してからも、二人の関係は続きました。「また近いうち、面白い仕事を一緒にやろう」。仕事帰りにグラスを傾けるとき、永塚は次々とユニークなビジネスプランを語りながら、野﨑を誘いました。それが原型となって誕生したのが“NewWork”の企画であり、担当業務を超えて動き始める二人の挑戦のドアを開いたのが「社内起業家育成制度」でした。
社長プレゼンを経て、“NewWork”は2次選考をパス。いくつかの軌道修正を図りながら、翌2016年2月、二人のチャレンジは、当社の新規ビジネスとして本格的に走り出しました。

当初は大きな焦りを感じながらも、
二人の胸には予感めいたものがあった。

物件の選定、企画・デザイン、管理システムの開発、収益モデルの構築、顧客企業への営業――。慌ただしい日々が過ぎ、2016年5月、“NewWork”はついにテイクオフを迎え、まず自由が丘、横浜、吉祥寺の3店舗で開業し、続いてたまプラーザ、二子玉川が続々とオープンしました。
しかし、スタートダッシュは不調だったと言います。永塚の言葉を借りると「よく閑古鳥が鳴くというが、その閑古鳥すらいない状態」。ただスタート当初、そのような状況に焦りを感じる場面もあったものの、二人の胸には予感めいたものがありました。「時代を先駆ける提案であるからこそ、理解を得るには時間も労力もかかる。だから収益モデルの立案においても、認知度が高まるまでの期間、売上が低迷することはすでに織り込んでいた」野崎は当時の様子をこう語ります。
そんな中、徐々に状況に変化が生まれ始めます。世の中では「働き方改革」がクローズアップされ、それに伴いマスコミに取り上げられる機会が増え、企業からの問い合わせが続き、官公庁からの注目度も急速に高まりました。走り続けてきた“NewWork”に、時代がシンクロし始めたのです。

東急電鉄のフロンティア・スピリットは今も、
強い光を帯びて輝きつづけている。

「本当にいいバディだと思っている」と言い合う二人からは、共に事業を切り開く中で生まれた強い絆を感じました。 そんな二人に“NewWork”への想いを訊ねてみると、野崎はこう語ります。
「一歩踏み出すか踏み出さないかでその後の人生が大きく変わる。私にとって、“NewWork”がその一歩になるような予感がします」
一方、他社での勤務経験もある永塚はいいます。
「失敗してもいいから試してみろ!が許される会社。そんな環境でやりたいことにチャレンジできることは幸せだと思っています」
“NewWork”を世の中に広く浸透させるために、この事業を成功させるために、二人はまさに日々試行錯誤を繰り返し走り続けています。東急線沿線の直営店舗に加えて、他社との提携によって利用できる店舗数も急増し、北海道から沖縄まで全国規模のネットワークが構築されつつあります。また顧客企業も続々増え、登録会員数は2万人に迫る勢いです。しかし、まだまだスタート地点に立ったばかりだと二人は未来を描きます。
当社は1922年よりその後100年近くにわたって挑戦の歩みを続けてきました。連綿と受け継がれるそのフロンティア・スピリットは現在も多様な分野で輝きを放っていますが、そのいちばん新しい輝きのひとつが“NewWork”なのです。