社員紹介

社長室 広報部 広報課 課長補佐

栁澤 成行

MASAYUKI YANAGISAWA

2005年入社
商学部会計学科 卒

【コーポレート】

「東急」という
日本一のブランドをつくるために
情報を発信する

私の仕事

わかりやすさを第一に心がける

 広報部の仕事は主に4つに分かれています。社内報・グループ報と呼ばれるインナー広報、ホームページ担当、100周年史編纂を見据えた資料整理等を担当しているアーカイブ担当、そして、私が担当している社外広報。社外広報の仕事は、ニュースリリースの発信、報道関係者イベントを開催して当社事業を広く報せること、事件事故等の際のマスコミ対応などです。
 社外広報には、「攻めの広報」と「守りの広報」があります。「攻めの広報」は、新聞・テレビ等のメディアに取り上げてもらう広報。「守りの広報」は、企業価値毀損を極小化する広報です。「守りの広報」で大切なことは、素早く情報を整理して正しい情報を発信すること。隠さず正直に真摯に対応する姿勢が何よりも大切です。
 ニュースリリースの本数は年々増加し、今年度は約240本、1営業日に1本のペースです。「分かりやすく、かつシンプルに」をモットーに、簡単な原稿だと2時間、長いものだと4時間ぐらいで書きます。発信する情報は、オフィシャルなものとして世に出されますのでかなり気を遣います。間違いはもちろん、「何を伝えたいのか」が分かるようにしなければなりません。
 担当部門からあがってくる文章は、専門用語が多くなりがちです。この分かりにくい文章をいかに分かりやすくするかが広報の腕にかかっており、役割だと考えています。

仕事の意義

「日本一訪れたい街、渋谷」の広報を担う者として

 私の仕事は、当社事業について「何をするのか」「何のために行うのか」をわかりやすく発信することでステークホルダーの理解を得て、企業価値向上に寄与することが目的です。
 例えば、渋谷駅の導線は複雑でわかりにくい、利用しづらいというネガティブなお声をお客さまからいただくことがあります。もともと、渋谷駅は増築を繰り返してきた歴史があり、決して使いやすい駅ではなかったと思います。多くの関係者がいることに加え、1日300万人の方が利用する渋谷駅の機能を生かしたまま、一気に改善するのはとても難しいのです。しかし、そのような事情を知っている方はほとんどいません。そこで私たち広報は、渋谷駅の改善目的、今はまだ改善途中で将来はちゃんと便利になることをメディアを使って発信します。
 例えバラエティー番組であっても、工事の趣旨をきちんと伝えられるのであれば取材を受けます。また、報道公開で工事現場や将来イメージをメディアの方々にも見てもらい、今どこの工事をして将来どうなるのかをわかりやすく説明します。
 このように情報を発信することでネガティブに思われている方々が、いつかポジティブに受け入れてくれることを目指し、渋谷が「日本一訪れたい街」になれるよう、わかりやすく、根気強く、相手の心に届くまで情報を発信し続けることが私のミッションです。

印象に残るエピソード

攻めの広報で、売上げ8倍に

 「横濱・中華街旅グルメきっぷ」のPRは、攻めの広報として非常にうまくいった事例。東横線・みなとみらい線の1日乗車券と横濱中華街提携店舗の食事券が付いたお得なきっぷを発売したもので、広報がプロモーションした結果、売上げが従来の約8倍に伸びました。
 会社としては、この企画券発売を契機に、東京メトロ副都心線と相互直通したことで乗り換え無しでみなとみらいに行けるという利便性を多くの方に知っていただきたいという思いがあり、私たちもこれは良い商品だと思いました。それをどういうふうに消費者に伝えるか。
 今まではこのようなPRは駅貼りのポスターなどで対応していたのですが、もっと魅力を訴求できる方法があるのではないかと思っていました。ポスターだけでなく、テレビ番組とタイアップさせたらどうだろう。そこでメーンターゲット層がよく見るような番組に取り上げてもらうよう努力をしたところ、土曜夕方放送の某人気番組の取材を勝ち取ることができました。
 さらに私たちは単なる紹介だけではなく、私たちが言いたいことをしっかり伝えてもらいたいと考えました。貸切列車を用意し、車内撮影ができることを伝え、柔軟に対応した結果、私たちが言いたいことを全て伝えてくれました。
 それまでは1カ月で1,000枚程度の売れ行きでしたが、3日間で1,000枚以上売れました。放送直後から1カ月間で、これまでの約8倍の伸びという顕著な結果を出すことができました。

My History

入社前

1982年 神奈川県生まれの神奈川育ち。幼い頃は破天荒、よくいえばユニークな子どもだった。幼稚園に行くのが嫌で泣くこともしばしば。送迎バスの運転手にバスを停めろと言ったこともあるとか。
1988年 小学校時代は、比較的勉強もでき、学級活動にも積極的に手を挙げた。4年のとき、地元の少年野球チームに入る。行くとお菓子がもらえる。それが入部の理由。お菓子に釣られ野球を続けた。ポジションはセカンド。
1994年 中学は、新宿にある中高一貫の男子校に入学。野球部に入り、高校まで続ける。高校2年のとき、怪我をして裏方に回ったが、裏方で支えて成果を出す面白さを知る。1回戦止まりの弱小野球部が東東京大会で2勝した(写真)。
2001年 大学では会計を学ぶ。サークルはインカレのテニス部に所属し、学外の人脈を築く。高校野球のメンバーとは草野球で交流を続けた。

入社後

2005年 入社。東急電鉄に決めたのは「街づくり」に携わりたかったのと、人事担当者・先輩社員の人柄にひかれたのが理由。
寮生活では同期と同じ釜の飯を食べ、絆を深めた。3カ月間の中目黒駅での鉄道現場研修を経て、財務部に配属。有価証券管理、入出金管理、融資保証、資金調達等を担当。上司には家族のように接してもらい、いろいろと教えてもらった。
2011年 4月から広報部配属。社内サークルは、野球部以外にも複数所属。自分が監督になってから渋谷区4部に甘んじていた野球部を1部にまで昇進させたことはちょっとした自慢。社内の顔の広さは、仕事にも生かされる(写真)。