社員紹介

鉄道事業本部
運転車両部 保安課 運輸司令所

木村 祐樹

YUKI KIMURA

2007年入社
法学部 政治学科 卒

【鉄道】

15年後の都市に想いを巡らし、
これからの鉄道事業の
グランドデザインを描く

私の仕事

鉄道の未来で交わる2つの仕事を兼務する

 2016年4月に現部署に異動する前は、鉄道事業本部で事業戦略部企画課とネットワーク事業推進部計画課の2つのセクションを兼務していました。前者では、鉄道事業における長期的な戦略の策定や需要予測などに携わっています。また、後者では、2022年度下期に開業が予定される相鉄・東急直通線に向けた全体管理を担当。東急東横線・東京メトロ副都心線の相互直通運転においても運転部門の統括を担当した経験を活かして社内外の調整を進めました。
 一方、事業戦略の策定において大きなミッションとなっていたのが、交通政策審議会への対応です。これは国土交通省が主催する有識者会議であり、我が国における鉄道や道路等、交通政策の中長期的な方針を決める議論が2014年から約2年間にわたり行われておりました。
 前回この審議会が開催されたのは16年前の2000年。実は2013年に実現された東急東横線・東京メトロ副都心線の相互直通運転も、このときの審議会で答申されたもの。つまり、このたび開催された審議会によって今後15年間にわたる日本の鉄道の将来像が形づくられたわけです。当然、東急電鉄としても審議会で議論する一鉄道事業者として、「東京圏の鉄道のあるべき姿」を追求しなければなりません。私は、その計画の取りまとめを任され、社内の各部門と議論を重ねながら、鉄道事業のグランドデザインを描きました。

仕事の意義

私たちの挑戦はグローバルでも大きな価値をもたらすはずだ

 近年、日本の社会は大きく変貌しようとしています。人口が減少傾向に転じ、輸送力の増強が至上のテーマだった鉄道への要望も変わりつつあります。今回の交通政策審議会でも、鉄道に求められる新しい姿が提言され、特に鉄道におけるサービスの質的向上の重要性が取り上げられました。
 現在は2016年4月より運転車両部保安課運輸司令所に異動し、列車の運行管理やお客さまへの情報提供に関する業務を行っているのですが、ここではまさに「安全・安心」を守るのに加え、前述の「サービスの質の向上」を目指し、運行情報配信の改善等に取り組んでいます。
 私は、これからの鉄道事業において、「安全」「安心」「利便性」など従来の目標に加えて、「快適性」や「居心地のよさ」といった、さらに人々の生活に寄り添った価値の提供が欠かせないと考えています。鉄道や駅を中核にした街づくりであり、新しいサービスです。
 それは、鉄道と都市開発、生活サービスという3つの事業を柱に独自のビジネスを創造していこうという東急電鉄の未来の姿にぴたりと重なります。3つの事業をこれまで以上に緻密に連携させていくことによって、当社の鉄道事業の可能性は大きく広がると感じています。
 またそれは日本ばかりでなく、世界においても同様です。海外の鉄道は国営が主であり、街づくりにまで踏み込んだ事例は数少ない。私たちが培っている経験は、グローバルなフィールドにおいても大きな価値をもたらすはずです。

印象に残るエピソード

「木村が考えたプランだから問題ない、大丈夫だ」

 東急東横線・東京メトロ副都心線の相互直通運転は、地上を走っていた線路を一夜にして地下化するという壮大なプロジェクト。私は、運転部門の全体管理を任され、社内・社外の各部門との調整に明け暮れました。当然、軋轢が生じることもあります。そんなとき、直属の上司が別の役職者に説明していました。「これは木村が立てたプランなのだから問題ない、大丈夫だ」と。普段は厳しくなかなか面と向かって褒めてくれない上司だっただけに特別嬉しく、信頼に応えなければと身が引き締まりました。
 2013年3月16日、切替の当日。私も代官山に設営した切替の本部に詰め、緊迫した空気の中、その瞬間を見守りました。終電から始発までわずか3時間半ほどの間に工事を完了し試験走行を行い、そして無事に始発電車が走り抜けたとき、ふっと力が抜けるとともに、達成感が静かにこみあげてきました。

My History

入社前

1985年 誕生後、父親の仕事の関係で幼少時をアメリカで過ごす。(写真) 9歳のときに帰国し、以来、東急沿線の街で青春時代を送る。中学・高校はラグビー、大学ではラクロスとスポーツに熱中する毎日だった。
2006年 「東急電鉄はまだ価値を十分に発揮していない。駅を中核にもっと魅力的な街づくりに力を注ぐべきだ」 ──長く暮らした沿線への想いが志望の動機であり、就職活動の面接でもその思いの丈をストレートに語った。

入社後

2007年 入社。駅係員や車掌としての研修の後、総合職としては数少ない運転士も経験した。初めてハンドルを握り、何千もの人の安全を背負いながら渋谷駅から走り出したときの緊張感は今も忘れられない。学生時代、通学で利用していた田園都市線を、運転士としても走った。風景がまったく違って見えたことは言うまでもない。(写真)その後も、鉄道事業本部で一貫してキャリアを積む。
2013年 10月より事業戦略部企画課兼ネットワーク事業推進部計画課に異動。
2016年 4月より現職。社会人になってから、新たなスポーツとしてゴルフを始めた。現在も定期的にジムに通って体を鍛えている。